• 第9回 超異分野学会 本大会

[第9回本大会セッション関連記事]関連セッション:こどものワクワクと主体的行動を促す仕掛けとは(3/7開催)

2020.02.05

第9回本大会の2日目(2020年3月7日)に開催するセッション「こどものワクワクと主体的行動を促す仕掛けとは」に登壇するリバネスの代表取締役副社長CTOの井上が、以前に予防医学者の石川善樹氏と対談した際の記事を紹介します。

[教育応援 vol.42(2019年6月発行)“ リバネス教育総合研究センターレポート”より]

ワクワクのスパイクを起こせ!

子どものころに、草むらで見たこともない虫を見た時。もやもやと考えていた疑問が解けたと思った瞬間。もっと知りたい、どうなっているんだろう、と欲求や疑問が心の奥底から湧き上がってくる。人を突き動かす、その「ワクワク」とは?

 

石川 善樹      予防医学者    井上 浄  株式会社リバネス

 

 

石川 善樹 プロフィール

東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。

井上 浄 プロフィール

リバネス創業メンバーのひとりであり、大学院在学中に理工系大学生・大学院生のみでリバネスを設立。博士課程を修了後、北里大学理学部生物科学科助教および講師、京都大学大学院医学研究科助教を経て、2015年8月1日より慶應義塾大学特任准教授に就任・兼務。研究開発を行いながら、大学・研究機関との共同研究事業の立ち上げや研究所設立の支援等を担っている。

「小さな問い」を立てる力

井上

研究者ならだれでも持っていると思うんです。実験しているときに、「やべぇ、これはあの時考えていた現象だ・・・」と過去の経験や思いつきから、もやもや考えていたことが、ある日急につながる瞬間とか。そのときに、それを確かめたくて実験に没頭してしまうこと。そのとき我々を突き動かすワクワクという感情。2019年度は経済産業省の未来の教室という、新しい学びを実証実験する取り組みの中で、そのワクワクとは何で、どんな仕掛けがそれを引き起こすことができるのかを実証したんです。

 

石川

そのワクワクと行動の関係って、僕が昔研究していたスポーツ選手が継続する力に重なるところがあると思いました。僕は、長く活躍するスポーツ選手がなぜ継続することができるか知りたくてたくさんのスポーツ選手にインタビューしたんです。

 

井上

それは面白いですね。どんな秘密があったんですか?

 

石川

そのインタビューから見えてきたのは、スポーツ選手は自分が競技を継続する動機を、内的なものから外的なものへ変換しているということです。最初は「楽しい」とか、「上手く投げられるようなりたい」、みたいな内的な動機からスタートするのですが、それが「チームを勝利に導きたい」とか「オリンピックに出たい」といった外的な動機に変わっていきます。そしてキャリア半ばで壁にぶち当たる。どうやってもこれ以上タイムを伸ばせないとか、距離を長くできないという自分の限界に達します。その時に、多くの人はスポーツ以外の異分野の考え方と出会って自分を見直すフェーズを迎える。その出会いがきっかけで、「なんで自分はこれをやっているのか?」ともう一度自分を問い直すことがわかったんです。

井上

スポーツ選手も黙々とゴールに向かって、この部分を改善してみよう、とかこういう練習をしよう、とか努力を継続している。行動の連鎖が起きている、というところで確かにワクワクして実験してみたり調べてみたりする行動の連鎖と重なりますね。

石川

そうなんです。この研究でもう一つ見えてきたことは、パフォーマンスを出し続けるために、選手たちは「小さな改善」を達成し続けていること。一流のスポーツ選手の最終的なゴールはオリンピックに出ること。でもそんな大きい遠くのゴールを掲げるだけでは、途方にくれるだけだし、そこへ向かっていくことはできない。でも実際にそこへ到達できている人は、日々、自分自身に小さな問いを立ててそれを達成していました。「右手の振り方の角度をちょっと変えてみると身体のバランスが取れるのでは?」「スイングするタイミングを少し後にしてみると飛距離が伸びるのでは?」とか、より良いパフォーマンスを出すためにちょっとした問いを立ててそれを改善しているんです。それである日、気付いたら次の小さな一歩がオリンピックへ出ることだった、と言っていた選手もいました。

 

井上

それって、一流の研究者が自分の疑問に対してあの手この手で調べたり実験を重ねていく過程に似てますね。多分、誰しも最初は「これって面白い!」とか「どうなってるの?」とかいう身近な不思議に対して強い興味を持つところから入ります。それをいろいろな場所で調べてみたり、人から話を聞いてみたりする。そこから、もっと大きなテーマを掲げたくなったりします。こどもだったらどうだろう?

 

石川

ワクワクの概念を知的好奇心に絞った場合、こどものワクワクとそこから生まれる行動はこの線が始まる一番最初のところかもしれないです。面白い!と思っていろいろこねくり回している時の状態です。僕が小学生のときに、先生から角を定規とコンパスで2等分にする方法を学んだときに、同じ手法で3等分はできないことが証明されている、って聞いたんです。そのとき、僕はなぜかできる気がして、夏休み中にひたすら三等分にするやり方を探し続けました。(笑 それで、最後に3等分にできた!と思ったのですが、結局やり方が間違っていて、やっぱりできないって自分で悟ったことがありました。

 

井上

まさに、湧き上がる疑問やもっと知りたいという欲求からこどもが行動を続ける様子ですね。

 

 

気付く、問う

井上

スポーツ選手においての小さな改善につながる問いが立てられる、って実はすごく難しくないですか?ワクワクにおいても「なんで?」と何か不思議に気付くことが重要なのですが、そこを先生だったり親が最初は上手く導いていくのが大切なのかなと。問いが生まれてくれば、やり方がわからないこともあると思うけれど、とその疑問を解消したいという欲求と、取り敢えずやってみようという気持ちが起こってくる。だからリバネスでは、「身近な不思議を興味に変える」をキャッチフレーズに、サイエンスの面白さ、問いの立て方、その検証の仕方を体験しながら学んでいく実験教室を創業からずっとやってきました。

 

石川

人間って同じことが起きていても人によってどう解釈するかって全く異なりますよね。こどもも同じ。カードゲームをやっている様子を観察すると良くわかります。ある子は、遊び方を変えてずっと遊び続ける。自分自身の視点や考え方を変えることができているからです。でも一つの見方しかできない子は、すぐに飽きてしまう。そう考えると、問いを立てることができたり、気付くことができれば、一つの環境から多くのものを得ることができます。わくわくする素養は、最初から身につけられているのかもしれません。

 

井上

僕たちこどものころはみんな超ワクワクしてましたよね。赤ちゃんは何でも口に入れて確かめようとする。ワクワクの塊だったんです。でも、大人になるとなぜかそれを失ってくる。一方で石川さんのようにそれを失わずにいる人もいる。小さいころはどんな風に親に育てられたとか覚えていますか?

 

石川

至って普通だったかと思っていますが、父親は僕が質問すると良く「お前はどう思うの?」と質問で返してきてたのは覚えてます。

 

井上

やっぱり、幼少期の環境は重要かもしれませんね。でも僕たちのもう一つの仮説は、ワクワクは増幅することができるということ。ワクワクって伝染すると思うんです。先生たち自身がワクワクすることで生徒にそれが伝染する。また、授業でどんな問いかけをするか、どんな体験をさせるか、で生徒のワクワクを増やして行動を促すことができるのではないかと考えています。

 

石川

ワクワクは確実に伝染しますね。でも、僕はあくまでも先生は本人の気づきへのきっかけを与えることしかできないとも思います。いくらこれが面白い、これは不思議だ、って人からいろいろ言われても、その場では理解した気になるけど思い出せないことって多々あります。ワクワクしろ、と言われてその気になることはあっても、それは本物ではない。人を突き動かすワクワクは自分の中から自力で沸き起こるんです。

 

 

「〇〇とは、」から「〇〇では、」へ変えろ

石川

学校で「1+1=2」って習った時に、なんか理解できなかったんです。「+(足す)」ってなんだろう、と。足すとは何かわからなかったんです。りんご1個とりんご1個を「+(足す)」って、どういうことなのか? 集めることはできるけど、足すってなんだろう? って戸惑っていました。「−(引く)」ことのほうがすんなり理解できました。みかんの一房を引っ張ると、元のみかんから離れます。「−(引く)」ということはそれをいっしょかなと考えました。僕には「+(足す)」が難しかったから、なんで学校では足し算を先にやって、次に引き算をやるか疑問でした。先生に何でですか?と聞いたけど、何も答えてくれなかった(笑)

 

井上

嫌な生徒だな〜(笑)先生も扱いにくいと思ってたでしょうね。でも、ものごとを一から捉えるというか、その事象そのものを考えるって研究で立てる大きな問いと一緒ですね。それを小学校からやってたなんて凄い。

 

石川

先日、ある高校で講演をする機会があったのですが、僕が話し始める前に先生が「起立、礼!」と号令を出してホールにいる生徒が一斉に立ち上がって礼をしたんです。そこで僕が先生に「起立、礼」って何でやるんですか?って先生に聞きました。なぜだろう、と思って。確か、先生はそのときに「生徒の精神を統一するためです」と答えてくれたのですが、そこで僕は「精神を統一するとは、なんですか?」って聞いてみました。その状態ってなんだろう。その状態を考えることで、「起立、礼」だけではなく、もしかしたらもっと最適な別のやり方を見つけることができるかもしれない。

 

井上

それも先生困ったと思いますよ。講演会や授業の始まりでは、起立、礼をやるのが慣習になってますからね。

 

石川

それが、まさにいろんな事の可能性を狭めていると思っています。その講演会でもお話させていただいたのですが、僕、「〜では」という考え方の中にいる限り、新しい発想や考え方は生み出されないと思っています。教科書「では」こう書いてある。この分野「では」こう考えられている。このように、ここに留まっていると新しい物事が生まれないと思うのです。「〜では」から「〜とは」という問いを立てることで、初めて自分で考えると思います。

 

井上

「〜では」から「〜とは」への切り替えってとてもわかり易いですね。「〜とは」と考え続けているのが正に研究者だと思います。「〜とは」と発想して、自分の考えを試すためにいろんな実験を組んで実証する。「〜では」があるから、「〜とは」が生まれてくるとも思いますが。

石川

もちろんです。僕は高校までは「〜では」でいいのかなと思っています。大学や社会に出ると学問と向き合う中で「〜とは」へシフトしていかなくてはいけない。僕が東京大学を受験したときに、「青春とは何か、述べよ」という問題があったの覚えています。それには「まだ知らない」って書きましたけど(笑)

 

 

熟練を伴う知的欲求

石川

ここでいうワクワクを知的欲求と捉えると、自分でワクワクを醸成できるようになるには時間がかかると思うんです。基礎的な学力ももちろん必要だと思うし、いろんな体験をすることも必要ですし。しかも、日々のワクワクは低くてもいいんじゃないかとも思います。あるとき、ふとしたことで「これってこういうことだったのか!」と意味がつながる瞬間がある。その結果ワクワクが生まれてくるんじゃないかと思っています。

 

井上

いやー奥が深いですね。僕も常にワクワクしている方ではありますが、それでもスパイクはあるなと思っています。「これだ!」って思う瞬間にスパイクが起こって、その瞬間のアイデアが脳に刻まれる。A-HAモーメントとも言いますよね。

石川

スパイクの表現いいですね。ワクワクはスパイクでもあり、熟練を要するものでもあると思います。それでいうと、欲求の考え方にLike、Want、とLearn があるのですが、その中でもじっくりと増え続ける対数関数のような状態が一番親しいのかなと思います。最初はぐっと増えるかもしれない。そして小さくても小さな問いを立て続け、じわじわと増え続けるんです。

 

井上

面白い!そのスパイクを起こし続け、そのスパイクの積み重ねがLearnのカーブになる。長期に、持続的に追い求める力になるわけですね。そしてその大元になるワクワクの原点というのを考えてみると、「無知(怖い、痛いなど嫌なことを知らない状態)」であり、知らないという状態(人間のデフォルト状態)から、生きていく上で「行動」しなければならないはずで、その行動を引き起こすためにエネルギー(モチベーション)が不可欠である。すると人がもって生まれたエネルギーが「ワクワク」なのかもしれない。我々はこれからもワクワクについて研究していきます。石川さん、またディスカッションしましょう!ありがとうございました!

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[教育応援 vol.42(2019年6月発行)“ リバネス教育総合研究センターレポート”より]

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教育とワクワクに関連するセッションは
・3月7日 13:00-14:00 こどものワクワクと主体的行動を促す仕掛けとは@セッションルームB

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