• 第8回 超異分野学会 本大会

【第8回大会ダイジェスト】テクノロジーで拡張するおいしさの世界

2020.03.11

左から:九州大学特任教授・都甲潔氏、電気通信大学特任助教・櫻井翔氏、
リバネス・伊地知聡(モデレーター)、宮城大学教授・石川伸一氏

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テクノロジーで拡張するおいしさの世界

<2019年開催・第8回超異分野学会ダイジェスト>

 

「味」や「香り」のセンサー、VRの活用など、現在は「おいしさ」の研究がさまざまな形で進んでいます。本セッションでは、五感とおいしさの関係を理解する糸口となる最先端の研究に取り組む研究者が、最新の知見やテクノロジーによって「これからどのような食の世界が生まれてくるのか」について議論を展開します。

 

第9回超異分野学会は2020年4月23日にオンライン開催します。

 


 

タイ人とシンガポール人に沖縄そばの感想を聞いたら……。

 

リバネス・伊地知聡

このセッションは、セッションパートナーである江崎グリコのご協力により、「テクノロジーで拡張するおいしさの世界」というテーマで開催させていただきます。まずは私自身、味覚関連の研究を行っておりますので、そのお話を少しさせていただき、その後、パネリストとして来ていただいているお三方にお話をお伺いします。お三方とも大変ユニークな研究をなさっていらっしゃるので、貴重なお話を伺えると思います。そして後半は、実際にテクノロジーによってどこまでおいしさを拡張できるのかについて議論していきたいと思います。

 

私はリバネスのアグリガレージ研究所と教育開発事業部に所属しているのですが、大学時代から味覚の研究を行っています。高校のとき、陸上部に所属していたため、体重制限をしなければならず、どうせ食べるならおいしいものを食べたいと思い、あちこち食べ歩くようになりました。そんななかで「なぜ人間はおいしいものを食べると幸福感を得られるのか」と疑問を抱くようになり、味覚の研究を始めました。

 

大学では甘味レセプター、つまり甘さを感じるレセプターの構造を研究するラボに入りました。そこで携わることになったのが、漢方に用いられる「甘草」という植物の根っこの成分で、ガムやソーセージなどに用いられているグリチルリチン酸という甘味料の研究です。グリチルリチン酸は抗炎症作用もあるため、シャンプーやリンスなどに用いられるほか、医療現場でも使われています。

 

グリチルリチン酸は砂糖の150倍くらい甘いとされているのですが、末端構造を少し変えることによって、甘さを200倍、300倍へと引き上げることが可能です。私はこれをマックスで1200倍まで引き上げることに成功し、論文を書かせていただきました。

 

その後リバネスに入ったのは、これまでに研究したことを生かして、教育を通じて人々の役に立ちたいと思ったからなのですが、それと共に「おいしさのメカニズムを解き明かしたい」という思いもありました。リバネスはいろんなことが自由にできる会社ですので、大学時代の研究とは違ったアプローチができると考えたわけです。

 

一例を挙げると、沖縄県の事業で加工食品の輸出を促進する研究を行いました。沖縄では地元産の食材を使った加工食品を、東南アジアに輸出する動きを進めたいと考えています。自然環境や気候など共通点が多いので、東南アジアでも売れるだろうと考えてスタートしたわけです。

 

ただし、沖縄の人々と東南アジアの人々では嗜好の違いがありますから、そのまま持っていっても売れるとは限りません。逆にいえば、向こうの人たちがおいしいと思えるように改良すれば成功の確率は高まるわけです。

 

そこで、この後にお話しいただく九州大学の都甲先生が開発された「味覚センサー」などを用いて、沖縄の食品と現地の食品の成分を測定、両者の違いを検証するという試みを行いました。現地の人々がどんな成分の食品を好むのかを調べ、それに合わせて改良しようと考えたわけです。

 

ただし、現地の風味に近づければいいというものではありません。なぜなら、あまり近づけすぎると現地の食べものと変わらなくなり、彼らにとっては「海外の珍しいものを食べる」という有難味が薄れてしまうからです。では、どの程度、近づければいいのか。そこで、風味の異なるものを何パターンも用意して、現地の人々に食べてもらうという試みを行ったのですが、これが一筋縄ではいきませんでした。

 

例えばタイとシンガポールで沖縄そばを食べてもらったことがあるのですが、予想外の事態に直面しました。こちらは、そばつゆの風味の違いについて聞きたかったのですが、彼らの多くは麺の堅さについて指摘するわけです。「堅すぎて食べられたものではない」「ゆで方がぜんぜん足りない」と。指摘というよりもクレームの嵐でした。

 

実は、あちらでは日本で言う「麺のこし」という感覚がなく、麺はとても柔らかいものがほとんどです。そのため、つゆよりも麺の違いに大きな違和感を感じてしまったわけです。

 

これは食文化の違いによって苦労させられた例ですが、「おいしさ」の研究にはほかにもさまざまな困難がつきまといます。例えば満腹だったり体調が悪かったりすると、おいしいものでもおいしく思えないですよね。だから、何かを食べてもらって感想を聞くといった調査では、被験者の体調を知っておかなければなりません。また、いくらおいしいものでもよく食べていると飽きるので、最近食べたかどうかなども考慮しなければならないのです。

 

 

味覚センサーで判明した「若者は苦いコーヒーが好き」。

 

伊地知

さて、今日はそれぞれ違った視点から「おいしさ」の研究を行っているお三方をお呼びしました。おそらくお三方ともいろいろなご苦労をされていると思うので、そのあたりも聞いてみたいと思います。

 

まずは、味覚研究の世界ではおそらく知らない人はいないであろう、九州大学の都甲潔先生。ご存知ない方にご紹介しておくと、世界で初めて味覚を測定、数値化する「味覚センサー」を開発された方です。ちなみにそのセンサーは、世界中に普及し、多くの人々に利用されています。2人目は、味覚との関係性が解き明かしにくい視覚の分野の研究をされている電気通信大学の桜井翔先生。そしてもうお1人が、分子調理学という新たな分野を切り開かれた、宮城大学の石川伸一先生です。では、まずは都甲先生、よろしくお願いします。

 

九州大学・都甲潔氏

初めまして、九州大学の都甲です。今さら説明するまでもありませんが、味の感じ方というのは人によってさまざまです。家族で同じものを食べているのに、弟は「苦い、マズイ」といい、姉は「ぜんぜん苦くない」という。お母さんは「普通においしい」という。そんなことはしょっちゅうです。要するに味覚というのは主観的なものなんです。

 

で、それを客観的に測定し、数値化できたら、新しい何かが見えてくるのではないかと考えて開発したのが「味覚センサー」です。これを使うと「おいしさ」の構成要素である酸味や苦味、甘味、塩味などを数値として表わすことができます。

 

私たちはこの「味覚センサー」でいろんな食品の「おいしさ」を計測してみました。

 

(スライドを指して)まずこれは世界のビールのテイストマップです。横軸が酸味で、縦軸が苦みですね。アサヒのドライはここで、エビスビールはここです。エビスビール、やっぱり苦いんです。次はワインです。いろんなワインがありますけど、めちゃくちゃ簡単にいうと、フランスのこのあたりのワインは渋みの余韻があって酸味がない、日本の安価なテーブルワインは酸味に特化してる。なんとなく納得できる人もいると思います。いずれにしても味覚センサーを使うと、食品の味をこんなふうに目で見ることができます。ベロで感じる味を視覚として認知できるわけです。

 

次はカップ麺です。これはちょっと意外な結果が出ていて、日本のカップ麺はけっこう味が濃いことがわかりました。ベトナムあたりのカップ麺と比べてもかなり濃い。日本人は案外、濃い味を好むわけです。ともあれ、日本のカップ麺に関してはあまり頻繁に食べると塩分を取り過ぎるので注意したほうがいいかもしれません。

 

次はコーヒーですね。皆さん、ご存知かどうかわかりませんが、おおざっぱにいうと、若い人は苦いコーヒーを好み、熟年は酸っぱいコーヒーを好むという傾向があります。実際、スターバックスのコーヒーはけっこう苦いです。明らかに若い人を意識している。それはコンビニも同じで、酸味よりも苦みの強いコーヒーが多いですね。

 

今、日本はものすごい勢いで高齢化が進んでいます。超高齢化社会といってもいいでしょう。そこで真剣に考えなければならないのが「介護食」です。というのも、介護食って基本的においしくないですよね。糖分や塩分が抑えられているので当たり前なのですが、でも、それで本当にいいのかと。体の自由がきかず、楽しみは限られているのですから、せめて食事くらいは満足できるものにすべきではないかと。だから、今後は「おいしい介護食」をつくることが大きなテーマになると思います。

 

とはいえ、これは簡単なことではありません。なぜなら、超高齢化というのは誰もが初めて経験することだからです。過去の研究者や技術者、あるいは職人さんたちが培ってきたノウハウを応用することはできない。文字通り、ゼロから構築しなければなりません。

 

そこで、必要とされているのが「味覚センサー」のような新しいテクノロジーです。実際、すでに「味覚センサー」を用いて、「おいしい介護食」をつくる試みが始まっていて、一定の成果を上げています。例えばお菓子関連のある会社では、糖質9割カット、カロリー5割カットという低糖質のどら焼きを開発しました。ご担当の方には「味覚センサーがなければこういう商品はできなかった」とおっしゃっていただきました。

 

ITの活用は至る所で進んでいます。例えばコンビニ。1つひとつの商品に値段やカロリーとともに「味覚センサー」で計ったデータを入れておきます。そうすると、店の端末にスマホをかざすと、アナタに向いているのはコレとコレですよ、とその人の嗜好に合った商品が表示される。こういうプロジェクトも進行中です。

 

最後に3Dフードプリンターにも触れておきます。おそらく10年もすると一般家庭に3Dフードプリンターが普及するでしょう。それを利用して自分の好きな料理、自分の健康に合った料理をつくる。そういう時代がやってきます。私は3Dフードブリンターのプロジェクトにも関わっています。いずれにしても人類の食の未来は明るいと私は確信しています。

 

 

人は食べ物ではなく、「情報」を食べている。

 

電気通信大学・櫻井翔氏

初対面の方にご挨拶すると、必ず名前のことを言われる、電気通信大学の櫻井翔です(笑)。私の専門はバーチャルリアリティーでして、簡単にいうと人間の五感を刺激することで認知や行動を変えることができないかという研究を行っています。

 

ここにおいしそうなご飯の写真があります。私、今日、お昼ご飯を食べ損ねていて、今すごいお腹が鳴りそうなので、マイクで音を拾ったら申し訳ないのですが。それはともかく、ほとんどの人はコレを見ると「おいしそうだな」と思うでしょう。つまり、食べなくても何となくおいしそうなことが分かっちゃう。

 

また、キャンプに行って外で食べると普段よりおいしく感じたりしますよね。あるいは嫌いな人と一緒に食べるとあんまり味がしないとか。つまり、人間は食べた味そのものでなく、周りのいろんな情報、あるいは自分の体調なども含めて総合的に味を判断しているわけです。

 

なぜかというと、人が食べているのは、食べ物そのものでなく、「情報」だからです。私が研究しているVRは、この「情報」を使って人に働きかけるものなのですが、ここで1つ、おいしさに関連する研究をご紹介します。

 

これは私が最初に行った研究なのですが、いろいろな大きさのお皿に食べ物を載せて食べてもらうという実験をしました。皆さんも経験があると思いますが、お皿の大きさが変わると食べ物の量が変わって見えます。お皿が小さいと多く見えて、大きいと少なく見える。だから、小さい皿で食べると、たくさん食べたような気がして、すぐに満腹になってしまうんです。ダイエットしたい人は小さいお皿によそって食べるというのも1つの手段かもしれません。

 

もう1つ紹介すると、1人でごはんを食べるって味気ないですよね。そこで、例えばお店で買ってきたてんぷらをテーブルに置いたら、そのまわりに調理している映像を流します。そうすると、揚げたてのように錯覚して、おいしく食べられたりします。

 

人間って単純なんですよ。同じものを食べているのにお皿の大きさを変えたり、調理の映像を流すだけでおいしく感じられる。ちょっとした細工を施すだけで認知や行動が変わってしまうわけです。そこで、私はVRを活用してみようと考えました。VRを使って人の認知や行動を変えるという、一見ちょっとマッドサイエンティストなことをやっているわけです。この研究が進めばおいしさを拡張することも可能だと考えています。

 

 

料理を分子レベルでとらえる「分子調理学」。

 

宮城大学・石川伸一氏

宮城大学の石川と申します。昨今、食の世界でもさまざまなテクノロジーが生まれています。垂直農法や培養肉、3Dフードプリンターやロボティクス、IoT、テーラーメイド食など、まさに食のアップデート化が起きています。そうした技術に対してどう向き合っていくかが問われる時代になってきたと実感しています。

 

そんななかで私は、食品学、調理学、栄養学といった、食が身体に入っていく過程を研究対象にしてます。とくに最近は、食材や調理のプロセスを分子レベルでとらえ、新しいおいしさを追求する「分子調理学」の研究に取り組んでいます。

 

分子調理学には2つのアプローチがあります。1つは、食材の性質とか調理のプロセスとか、おいしい料理を分子レベルで考えるということです。もう1つは分子レベルの研究にもとづき、おいしい料理、つまり新しい食材や調理方法を開発するということです。まずはその2つを別々にとらえ、最後に循環させると料理の世界はグンと広がるだろうと考えています。

 

分子レベルの研究を行うには料理を構造的にとらえる必要があります。しかし、これまでは味や匂い、食感、見た目の色や光沢など、1つ1つ要素ごとに評価することはできても、料理全体の形のようなものを客観的に評価することはできませんでした。そこで、建築物を見るときのように、料理を構造的にとらえることができないかと考え、ある手法にたどり着きました。

 

それが、フランスの物理化学者であるエルヴェ・ティスという人が考案した「料理の式」と呼ばれるものです。簡単にいうと「食べ物の状態」と「分子活動の状態」という2つの指標を使って料理を評価するというもので、この式を使うと構造的にとらえることができます。また、料理の体系化や新しい料理の開発にも役立つのではないかと考えています。

 

さらに、先ほど都甲先生がお話された3Dフードプリンターの精度を上げるうえでも役立つでしょう。通常のフードプリンターは基本的なデータだけでOKですが、3Dともなると食材の成分の立体的な配置といったデータが必要になりますから。

 

ティスさんはフランス料理のソースを「式」で表わしました。そこで、私は日本料理をはじめ、いろいろな料理をその「式」にあてはめ、つくったりしています。この「料理の式」をうまく活用すればおいしさを拡張することができると思っています。

 

 

「おいしさ」の研究は、一筋縄ではいかない。

 

伊地知

では、ここからはディスカッションを進めていきたいと思います。お三方とも「おいしさ」をテーマに研究されているわけですが、そもそも「おいしさ」とは何か。ご自身の研究の中でどのように捉えているのか。まずはそのあたりからお話しいただけますでしょうか。石川先生、いかがですか。

 

石川

そうですね、先ほど伊地知さんが「おいしさ」の研究は一筋縄ではいかないと話されましたが、私も同じような思いで研究にあたっています。よくメーカーの開発の方などと「おいしさって何でしょう」という話をするのですが、いつも結論は出ません(笑)。

 

例えば何を見て、美しいと思うかは人それぞれじゃないですか。それと一緒で、それぞれが自分のなかに基準を持っているけれど、誰もが納得できるような言葉で表すのは難しい。私たち研究者はそこを何とか可視化したり、客観化したりしようとしているわけですが、簡単なことではないなと。

 

伊地知

櫻井先生はどうでしょうか。

 

櫻井

ご質問の回答になるかどうかはわかりませんが、人間にとっておいしさは「驚き」や「衝撃」に近いのではないかと思っています。おいしいものを食べたときって、目が覚めたような感覚にとらわれますが、それって一度きりではないんです。過去に食べたことのあるものでも再び衝撃がやってきます。そういう意味ではちょっとショッキングな体験をさせてくれるものなのかなと思ってます。

 

伊地知

都甲先生はいかがですか。

 

都甲

おいしさに関する議論というのは、「安全である」「安心である」という前提があって成り立ちます。もしその食べ物には毒が含まれているかもしれないと思ったら、味わうどころではありません。ということは、「おいしさ」イコール「快適さ」ではないかと。僕らは食における「快適さ」のことを「おいしさ」といっているのではないかと。僕はそう思っています。ちなみに「快適」と「快楽」は違います。いや、快楽に近いことは近いのですが、やはりその両者は違う。いずれにしても安全、安心があってこそ、「おいしさ」が成立すると思います。

 

 

味覚センサーと3Dフードプリンターで「オーダーメイド食」を。

 

伊地知

ありがとうございます。お三方が「おいしさ」についてどう捉えているかわかりました。では、ここからは江崎グリコのコーポレートメッセージでもある「おいしさと健康」というテーマで少し議論したいと思います。私はテクノロジーの発展は、おいしさの向上だけでなく、人々の健康にも寄与すると考えているのですが、みなさんはどのように思われますか。

 

都甲

先ほど「介護食」の話をしましたが、成人病患者の食事や病院食も同じですよね。病気になると、自分が好きなものを食べられなくなります。甘いものはダメ、塩分の取り過ぎはダメと。でも、甘いものをクチにできないのはとても不幸ですし、塩辛いものだって食べたくなります。

 

だったら、テクノロジーを利用して、その人の健康に悪影響を与えない、甘いものや塩辛いものを作ればいいわけです。味覚センサーや3Dフードプリンターを用いれば、その人に合った「オーダーメイド食」を作れるわけですから。とくに病院食ってひどいじゃないですか(笑)。正直、食べられたものではありません。まずはあれを何とかすべきではないかと、個人的には思います。

 

石川

「個別化食」「オーダーメイド食」というのは確実に普及するでしょう。そもそも人によって食べものの味を感じる味蕾の数は違うわけです。人より多く味蕾を持っていて微妙な味覚の違いを感じ取ることができる「スーパーテイスター」もいれば、味に鈍感な「ノンテイスター」もいます。

 

だとしたら、誰もが同じものを食べるというのはおかしな話です。それぞれが自分の味覚にあったものを食べるというのが理想でしょう。今後、テクノロジーが発展すればそういう時代がやってくると思います。

 

伊地知

私もおいしさを計測したり、計測した数値に合わせてつくったりできるようになれば、自ずとオーダーメイド化が進むと思います。自分の味覚に合うものだけを食べられるようになるかもしれません。ただし、「味覚」って、本人の意思でできあがったものではないですよね。親や学校が出すものを何十年も食べてきた結果、その人の「味覚」がつくられたという側面もあると思います。

 

そこで、お伺いしたいのですが、人間の味覚を変えることはできるのでしょうか。もし変えられるなら、糖分や塩分が少ないものをおいしいと思えるように変えてしまえばいい。そうすれば病気になって食事制限されてもおいしく食べられるわけですから。そこはどう考えますか。

 

櫻井

先ほども話したように、食べる環境を工夫することによって、その人の味覚を変えることができます。だから、十分可能だと私は思います。糖分や塩分をカットしたヘルシー食についても、例えば人間はまわりが「おいしい」といっていると、自分もおいしいと感じるようになるので、誰かがヘルシーな料理を「おいしい」「おいしい」といって食べている映像を延々見せ続けるとか。いわゆるインフルエンサーのような影響力のある人にヘルシーメニューのおいしさをとくとくと語ってもらうというのもいいかもしれません。

 

伊地知

実は私、「食べログ」のヘビーユーザーで、地方出張先などではよくいろんなお店の書き込みを読んでいます。で、最近、探すために読むというところから、読む目的が変わってきたなと思っているんです。他人の料理に対する思いや感想に感化され、「よりおいしく感じられる」ように、自分の味覚を変えるために読んでいるなと。ですから、櫻井先生のご指摘はよく理解できます。

 

櫻井

確かに、そういう使い方があってもおかしくないですね。

 

 

「おいしさ」を拡張する可能性はどこにあるのか。

 

伊地知

それにしても、近い将来には本当に自分でオーダーメイド食をつくれるようになるのでしょうか。

 

都甲

食べものの嗜好というのは国や地域によって違いますよね。日本人はこういう味を好む、ベトナム人はこういう味を好む、沖縄に住む人はこうで、北海道に住む人はこう、というのは確実にあります。それは科学的にも実証できます。

 

もちろん、実際には一人一人で嗜好が違います。同じ日本人でも濃い味を好む人もいれば薄味を好む人もいます。ただ、私は日本人同士、ベトナム人同士であれば、極端な差はないと思っています。日本で生まれて日本で育った人が、ベトナムの人が好むような味付けを好きになることは少ないのではないかと。ですから、日本人向け、ベトナム人向けの標準仕様のようなものをつくることができると思います。それを元に各人がカスタマイズすればいい。

 

伊地知

なるほど、その方法であれば手軽にオーダーメイド食ができそうですね。3Dフードプリンターも普及するわけですし。これに櫻井先生が研究されている、知覚を変えるVRシステムを組み合わせれば、「おいしさ」を拡張することが可能かもしれません。

 

櫻井

認知科学や心理学の分野に「クロスモーダル現象」という用語があります。人間の五感はそれぞれ別個のものですが、お互いに影響し合うこともあるというものです。当然、味覚も視覚や聴覚の影響を受けます。

 

例えばかき氷って、赤いシロップがかかっているとイチゴの味がしますよね。黄色だとレモン、緑だとメロンの味がします。でも、実はどれも味は一緒らしいんです。では、なぜそれぞれ味が違うように思えるとかというと、色味と香料によるものなんです。本来、味覚はあくまでも舌で感じるものであり、目や鼻との機能とは関係がないわけですが、視覚と嗅覚にも影響されるわけです。こうした人間の性質をうまく活用すれば、おいしさを拡張することができると思います。

 

伊地知

なるほど、おもしろいですね。たしか石川先生は高齢者食の研究もされていますよね。その観点から最後に何か一つお聞かせいただけますか。

 

石川

高齢者の場合、何より嚥下の問題があるわけですが、本人がおいしいと思うものには自然と唾液が出るので、嚥下がスムーズにいくんです。ですから、食べものが喉を通りやすいように食感や形状を変えることも大事ですが、それと共に、いかにおいしいものを提供できるかも重要なんです。

 

伊地知

ありがとうございます。ということで、このセッションでは「おいしさの拡張」をテーマに話しましたが、研究分野によってさまざまなアイデアがあることがわかりました。あたらしいテクノロジーを活用することで、おそらくまだまだおいしさを高める手は多く残されていると思います。みなさんの今後の研究がますます楽しみになりました。本日はどうもありがとうございました。

 


<プロフィール>

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九州大学高等研究院 特別主幹教授/五感応用デバイス研究開発センター 特任教授

都甲潔(とこう・きよし)氏
九州大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。システム情報科学研究院教授着任後、2018年より現職。世界に先がけて味覚センサを開発すると同時に、近年では超高感度匂いセンサの開発に成功し、種々の省庁との連携も図っている。

 

 

電気通信大学大学院 情報理工学研究科 情報学専攻 特任助教

櫻井翔(さくらい・しょう)氏
2007年群馬大学社会情報学部社会情報学科卒業。2014年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。同大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻特任研究員、首都大学東京大学院システムデザイン学部知能機械システムコース特任助教を経て、2016年電気通信大学情報理工学研究科情報学専攻特任助教(現職)。人間の情報処理メカニズムを利用した身体性拡張手法の研究に従事。博士(工学)。マンガ家。

 

宮城大学 食産業学群 教授

石川伸一(いしかわ・しんいち)氏
東北大学農学部卒業、東北大学大学院農学研究科修了。日本学術振興会特別研究員、北里大学助手・講師、カナダ・ゲルフ大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)、宮城大学准教授などを経て、現職。博士(農学)。研究の専門は、分子調理学。主な研究テーマは、調理現象の分子レベルでのメカニズム解明に関する研究など。著書に『料理と科学のおいしい出会い』(化学同人)、共訳書に『The Kitchen as Laboratory』(講談社)などがある。

 

株式会社リバネス アグリガレージ研究所/教育開発事業部

伊地知聡(いじち・そう)
大阪市立大学大学院工学研究科修了。大学ではグリシルリチン酸誘導体を用いたヒト甘味レセプター構造決定の研究に従事。リバネスでは、研究者と次世代を繋ぐ教育事業を軸とし、主に食品・化学系企業を担当。中高生の学会「サイエンスキャッスル」の立ち上げにも関わり、現在は小中高生とともに精神・運動ストレスによる味覚応答変化の研究などを行なっている。

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